Q「仕事で幸せを感じる時はどんな時ですか?」
「ラッセルスイートを通じて、人と人がつながる事が喜びであり幸せです。」
私達の仕事はエステティシャンとして、お肌やお身体に悩みに対するケアはもちろんの事ながら、時として、ポロっと出た会話から意図せぬ出会いや、解決に関われる事があります。
私達の母体企業であるKPグループは、飲食事業や美容業、卸業を通じて、幅広いつながりをもたせて頂いています。そんな中、ご紹介でつながり、ご縁となるという事が多々あります。
これはこれで他のエステサロンではない事だと思いますが、私がさらに嬉しいのでは、この『ポロっと』出るお話は、ご自身の事もあれば、身内の方の事など様々ですが、本当の意味での“信頼関係”が積み重ねられていないと、お話されない事ばかりです。ですので、そのようなお話をされた時は、全力で力になりたいと私は考えます。
お客様の悩み事をラッセルスイートを通じて関わりのある人への紹介のバトンがつながっていく・・・ ラッセルスイートがエステサロンとしてだけでなく、関わる方へのお役に立て、人と人をつなげていける事に、喜びを感じます。
Q、どんな幼少期、学生時代を過ごされていたのですか?
私の幼少期は、父の仕事の関係で10歳までに大阪市内外、そして名古屋と転校3回してます。当然、強レベル、中レベル、弱レベルと“イジメ”にもあいましたが、最初はイジメで始まった関係が、徐々に友達になり、そしてグループになりと、それを繰り返すので、普通より少し深い部分での人間関係や、付き合い方を学んでいったのだと思います。
印象的な事は、大人になってから母との思い出話で、私の幼少期の頃の話になり、「あなたは友達の良いところばかり、毎日お母さんに自慢するように教えてくれていたのよ」と聞かされた事です。イジメは、次の日には忘れてしまう性格で友達にもビックリされた事もあるのですが、人の事を自慢げに伝えるという今もある癖を、『小学校1年生からすでにやっていた』と知る機会になりました。
美容の仕事にどっぷりハマった理由は、学生時代にあるんです。
恋愛禁止、メイク禁止、ルーズソックス禁止、青春時代に楽しむ事をバスケ漬けの毎日で、熱血バスケ少女で過ごしていました。
その反動でバスケを引退してからは、女子力を磨こう!と、美容に目覚めたのです。今でもハッキリ覚えているのですが、バイト代の5万円、当時の私にとってはバイト代全額という大金を握りしめて化粧品を買いに行ったんです。メイクバッチリのキレイなお姉さんは、がっつり5万円分の基礎化粧品を私に選んでくれたので購入して使う事になったのですが・・・・
【その化粧品が肌に合わず肌が荒れました・・】
それをアルバイト先の方に相談すると、エステサロンを紹介されて、初のエステに行く事になりました。
肌が落ち着く・・・ 気持ち良い・・・・
私の初エステは、同時に初契約とエステサロンの上得意客になりながら、洗顔と化粧品の大切さなどを学ぶ事になり、エステの世界に吸い込まれていきました。
Q、挫折や、こんなはずじゃない!って事はありましたか?
「たくさんありますよ!」
今でも悔しいのは、開業前に少しでも資金を貯めようと元手が要らないクレジットカードの営業を店舗にしている時に、109件回って1件しか契約が取れなかった事。しかも、その1件は知り合いの関係という事があっての契約。
営業が得意だと思っていた自分を打ち砕かれる大きな出来事でもあり、それと同時にエステの仕事を従業員として、働いている時は、自分一人の力でなく、会社の力や周りの協力などがあって成立している結果なんだと、自分自身を深く振り返る事や、周りに感謝をするという大切な事を学んだ出来事でした。
この経験は今でも生きていて、お客様がご来店して下さる喜び、協力して下さるメーカーさんや、業者さん、エステオーナー仲間、そして同じ会社の一緒に働くファミリーに、本当に感謝しております。
Q,今後の夢や目標は何ですか?
夢は、「エステティック道を極めていく事」
目標は、「20代前半の若いエステティシャンが育つ環境を作る事」
女性の場合は特に、年齢を重ねると第一線で活躍できない仕事が多いですが、エステの場合はそれが違ってきます。年齢と経験を重ねれば重ねるほど、悩みを自分事として捉える事ができて、本当にお客様に寄り添ってエステをする事ができる素敵な仕事。
全てのエステティシャンが、それぞれの人生=それぞれのエステティック道があります。五感をエステするサロンが当サロンのテーマであり、人生をエステティック「美学」「美意識」「審美」で、妥協なく歩む。が私のエステティック道です。
それと同時に、この素晴らしいエステティック道を、歩むきかっけとなる20代の就職先の受け入れができ、なおかつ本物志向のエステティックサロンを作り出す!それが私の目標です。